Takayuki NakaharaTakayuki Nakahara

Career支店長

お客さまや部下と
まっすぐ向き合う。
支店長として、ここにしかない
魅力を伝えていく。

※内容は取材当時のものです

中原 貴行
1996年入庫

Career 01

「今」を全力で駆け抜けた、
学生時代。

未来はどうなるか分からない。ならば、今を全力で生きてみよう。これが私のモットーです。親の影響で小学生から始めたテニスは大学に入っても継続し、大学3年時には主将を務め、リーグ昇格を達成。このときに、ひたむきに頑張ることの大切さを学びました。一方、テニスに熱中するあまり、その先のことはほとんど考えていませんでした。周囲の友人たちがリクルートスーツを身に纏い、会社説明会に足繁く通う中、私は汗だくでラケットを振っていたのです。「今を全力で」とは思っていたものの、当時は就職氷河期。流石にこのままではまずいと思い、ようやく就職活動をスタートさせましたが、当時の私には将来の明確な展望などなく「サラリーマンになれればいいかな」くらいの感覚でした。運良く複数企業から内定をもらうことができ、その中の一つが東武信用金庫(現・東京東信用金庫)でした。金融機関の安定性や地域密着性に惹かれたことはもちろんのこと、「せっかく生まれたご縁。ここで全力を尽くしてみよう」と思い、東武信用金庫の門を叩きました。

Career 02

悩み、もがき続ける中で
差した光。

希望を抱き新社会人としての門出を迎えましたが、入庫後はイメージギャップの連続でした。営業として地域のお客さまと接する仕事を想像していたものの、最初に配属されたのは融資課。今となっては金融機関に欠かせない職種だと理解していますが、当時は上司や先輩の指示通りにしか動くことができず、仕事の意義を見出せませんでした。また、その頃は当時の時代背景から朝早くから夜遅くまで働くこともあり、体力的にも精神的にも相当追い込まれていました。社会人とはこんなにも苦しいのか——。会社からの帰り道、ふと気がつくと、頬に涙がつたっていました。このときだけは、本気で仕事を辞めたいと思いました。

しかし、私に救いの手を差し伸べてくれた人たちがいました。同じ支店で働く先輩や同僚、そして家族です。私のことを心配した先輩職員は食事に連れて行ってくれ、同期は「大変だけど一緒に頑張ろう。何かあれば話を聞くし、仕事も手伝うからいつでも相談してね」と声をかけてくれました。その言葉にどれほど救われたことか。母は毎日夜遅くに帰宅する私に対して、「お疲れさま」と言って温かいご飯を出してくれました。父は多くを語りませんが、「自分で決めた道なのだから、どんな結果になろうとも、しっかりと責任を持って取り組みなさい」と諭してくれました。そうした支えのおかげで、現在の私があります。自分にはこんなに温かい声をかけてくれる人がいる。この人たちを裏切ってはいけない。そう思えたことで、前を向けるようになりました。このときの苦しい想いと周囲への感謝は、今も胸の内に残っています。当時の私は厳しい時代背景もあって、身も心も追い込まれてしまっていました。今の若手職員には、そんな想いをしてほしくはない、させてはならないと肝に銘じて、職務を全うしています。

Career 03

大きな背中を追いかけ、
見えた景色。

前を向いて仕事に取り組めるようになると、業務の目的も徐々に理解できるようになっていきます。入庫から4年が経ち、融資の仕事にやりがいを感じていた頃、初めての異動が決まりました。異動先は、入庫時に希望していた営業課。私が異動となった営業課には精鋭たちが揃っており、異動した年には当庫の営業成績トップ10の中に7〜8名が名を連ねていました。そんな中に、営業未経験の自分が飛び込んでいくことは恐れ多かったのですが、それ以上にワクワクする気持ちが強かったことを覚えています。いざ営業を始めてみて、最も驚いたのは先輩たちの実行力。営業長が目標件数を示すと、必ずと言って良いほどそれを上回る数字を残してくるのです。最初はそれについていくのがやっとでした。しかし、先輩たちは私の面倒もよく見てくれ、「あのお客さまは前に設備投資を考えていると言っていたから、そろそろ話聞いてみると良いよ」「個人のお客さまなら、電話より直接会いに行った方が信頼してもらえるよ」など、知識と経験に基づいた、たくさんのアドバイスをもらいました。「みんな、今日も頑張ろうか」。そんな声がいつも聞こえてくる活気に溢れた素晴らしい営業課でした。

そうした環境下で必死に目の前の業務に取り組んでいると、私も1年後には優績者(営業成績10位以内)に入り、さらに2年後には全店1位の成績をあげることができました。もちろん、これは自分一人の力で成し遂げたものではなく、同僚のサポートやお客さまのご理解があってのもの。ただ、お客さまに対して誠意をもって向き合うことは、誰よりも意識していた自信があります。私のミスでご迷惑をおかけしてしまったときは、自宅や会社までお詫びに伺い、お客さまのためにならないと感じた商品は「これはあまり、〇〇さんのためにならないと思います」と正直に話をしました。そうした姿勢で接していると、お客さまの方から「何か仕事で困っていることはない?」と声をかけてもらえるようになり、日々の営業活動が楽しくなっていきました。営業の面白さにのめり込み、どうやったらお客さまに喜んでいただけるかを常に考え、行動していたように思います。「好きこそ物の上手なれ」。一生懸命頑張ることは大事なのだと、改めて感じました。

Career 04

あの日流した涙を、
笑顔と経験に変えて。

その後に係長、営業長、副支店長など各役職を任せてもらい、2020年3月に支店長の大役を引き受けました。支店長になろうと思ってやってきたわけではないのですが、新人・若手時代にお世話になった支店長たちを見て「あの人たちのようになれたら良いな」とぼんやりとした憧れは持っていました。時代は大きく変わりましたが、支店長がやるべき仕事は変わっていないと思っています。支店の成績を上げること。地域を支える中小企業やそこで働く方々、地域に暮らす人々に寄り添うこと。私の方針を理解し、一生懸命頑張ってくれる部下の不安や悩みを聞き、アドバイスをすること。支店全員が毎日楽しく勤務し、お客さまのお役に立ち、笑顔になれる環境をつくること。これが私の役割であり、使命だと考えています。お客さまはもちろん、部下の声にもしっかりと耳を傾けることによって、結果的にそれが支店のレベルアップにつながれば、このうえなく嬉しいですね。

支店長になったばかりの頃、とあるセミナーで以前担当していたお客さまと再会したことがありました。融資がなかなか決まらず、私が何度も上司を説得して融資を通した話になり、「あのときは本当に助かったよ。中原さんのおかげで、今も頑張れているよ」というお言葉をいただきました。その当時からはかなり時間が経っていましたが、記憶が蘇り、嬉しさで胸がいっぱいになりました。帰り道、私の頬は緩んでいたと思います。街に根づく金融機関として、地域の皆さまに貢献できること。そして、人々の生活を支え、豊かな暮らしをつくることができるのは、ひがしんならではの醍醐味だと思います。苦しい場面もあるけれど、くよくよ悩んでいても仕方がありません。一生懸命考え、行動し、壁を乗り越えた先には、何ものにも代えがたい喜びが待っています。前を向いて楽しんで仕事をしていれば、いつか必ず大きく成長できる。ひがしんならば、そんなかけがえのない時間を送れることを、これから後輩たちに伝えていきたいです。

Motivation Chartモチベーショングラフ

あの日、あの時の想い

1996年4月 / 23歳 / 100点

入庫

当時は就職氷河期と言われた時代でしたが、縁あって入庫することができました。明確な目標はなかったものの、新社会人として夢と希望を持ち、張り切っていました。

1997年7月 / 24歳 / 50点

融資課で葛藤する日々

入庫後から融資課に配属され、朝早くから夜遅くまで働いていたため、身も心もすり減っていました。しかし、先輩や同僚、家族のサポートがあり、なんとか乗り越えることができました。

1999年7月 / 27歳 / 90点

営業課に異動

店内で融資課から営業課に異動。新しい業務に不安は大きかったのですが、入庫当初から望んでいた営業課で働くことになり、新たな希望を胸にスタートを切りました。

2000年4月 / 27歳 / 100点

優績者(営業成績10位以内)として海外研修へ

先輩に後れを取らぬようにと、必死に活動していた結果、考えもしていなかった優績者になることができました。その結果、海外研修に派遣され、たくさんの先輩方と交流する貴重な機会を得ました。

2002年4月 / 29歳 / 100点

全店で1位の成績をおさめる

全店トップの成績を残し、家族や先輩、同僚から祝福を受けました。何より嬉しかったのは、お客さまからたくさんのお祝いの言葉をいただいたことです。努力が結果として表れる喜びを感じました。

2006年7月 / 34歳 / 60点

初めての役席(係長)に昇進

9年半在籍した支店から異動となり、初めて役席に昇進。部下をマネジメントしながら成績を残すことの難しさを学びました。

2010年2月 / 37歳 / 95点

係長から営業長、そして副支店長へ

支店の仲間に恵まれ、楽しく営業活動ができました。係長として異動してきて、最後は副支店長として異動していくという激動の4年5カ月でした。

2020年3月 / 47歳 / 100点

支店長に就任

支店長を拝命。果たして自分に支店長が務まるのだろうかという不安はありましたが、支店長になれたことに対する喜びは格別でした。